現実と数学の区別が付かない

数学ネタのブログです

「数学」と「実在論」

はじめまして。気まぐれで数学に関するブログを始めてみました。 数学に興味があって勉強したい,もしくは仕事などで使うので数学を勉強しなければならないという人達にとって,何の役にも立たないような内容を目指してやっていきたいと思います。

世の中にはゲームをやり過ぎてゲームと現実の区別が付かなくなるなんて話もあります。このブログで主に取り上げていこうと考えているのは,しばしば観測される現実と数学の区別が付かなくなるという現象です。

バナッハ・タルスキ―の定理

バナッハ・タルスキ―の定理とは「球を3次元空間内で、有限個の部分に分割し、それらを回転・平行移動操作のみを使ってうまく組み替えることで、元の球と同じ半径の球を2つ作ることができる」という定理です。そのような球の分割の存在をは本質的に選択公理を用いて証明されます。その分割の具体的な構成方法を与えているわけではありません。 選択公理の奇妙さを説明するときによく取り上げられる定理です。

詳しく知りたい方には 砂田利一 『バナッハ・タルスキーのパラドックス』 岩波書店 がおススメです。Wikipedia や↓のサイトにも証明が載っているようです。

sss.sci.ibaraki.ac.jp

直感的にはとても不思議な感じがしますが,実際に証明されている数学の定理です。 そして現実には1つの球から2つの球を作り出すことは不可能です。 この定理は「数学の定理の主張」≠「現実に起きる現象」 である事がよく分かる例です。

  • 金を2倍に増やせれば大金持ちやんけ
  • そんな事は現実では起こらないのでバナッハ・タルスキ―の定理(または選択公理)は間違っている

などと考えるのは,どちらも「数学と現実の区別が付いていない」症状の一種です。あと爆笑問題の田中さんは何の関係もありません。

1=0.9999\cdots 問題

数学ネタとしてよく取り上げられるものに1=0.9999\cdots という等式があります。この等式に疑問を感じるのは「実際に存在する0.9999\cdots」と1を直接比較しようとするからです。 しかし現実には無限に続く9なんて存在しません。

  • 9が無限個並んでいるかは人間には確認できないから1=0.9999\cdots は誤り
  • 無限に並んだ9なんて現実には存在しないから1=0.9999\cdots は誤り

などと考えるのは「数学と現実の区別が付いていない」症状の一種です。 この等号は,数学の世界で成り立つ等号を省略して書いたものです。 ちゃんと理解するには数列の収束を理解する必要があります。

毎日新聞プランク定数無理数

2017年12月21日の毎日新聞の記事です。

単位の定義、より高精度に 「重さ」の新基準に日本が貢献

会員登録をしないと読めませんが,その中に

 プランク定数は、円周率のように小数点が延々と続く数値。

で始まる段落があります。プランク定数は 光子の持つエネルギーと振動数の比として定義され, MKS単位系ではおよそ 6.62607004\times 10^{-34}~~ \mathrm{s}^{-1} \cdot \mathrm{kg}\cdot \mathrm{m} というとても小さな数値です。測定の精度を上げていくとさらに多くの桁数まで分かるようになる,しかし真の値はいつまでたっても分からない……そんな状況を「プランク定数は、円周率のように小数点が延々と続く数値」と表したのでしょう。

気持ちは分からなくはないですが,何か変ですよね。プランク定数の真の値が無理数と言っているようにしか見えません。そんなこと本当に分かるのでしょうか?

実はプランク定数は「定数」と言いながら,キログラム原器の不安定性から来る不安定性をもっています。 しかしここで,あえて「キログラムの定義に不安定性が無い」という仮定の下で考えてみましょう。例えば,キログラム原器が標準器として定められたその瞬間,まさにその一瞬のキログラム原器の「本来の重さ」をキログラムの定義として採用します。

さあ,そのときのプランク定数有理数無理数か決定できるでしょうか?それとも,どちらかではあるけれど決定はできない?そもそも測定できない「真の値」を論じることは意味がないでしょうか?

その答えはいったん置いておいて,次の話題に移りましょう。

(ちなみに今年開かれる予定の第26回国際度量衡総会プランク定数によるキログラムの定義が採用されそうです。

新しいSIの定義 - Wikipedia

プランク定数によるキログラムの定義が採用されれば,プランク定数 6.62607015\times 10^{−34} に固定され,晴れてプランク定数有理数ということになります。)

円周率は「実在(現実に存在)」するか?

さて,プランク定数は「光子の持つエネルギーと振動数の比」でしたが,円周率は「円の円周と直径の比」として定義されます。プランク定数と比べて随分と測定しやすそうです。 しかしここで言う「円」とは,数学の世界にしか存在しない「理想的な円」です。現実で直径1の円を描いて円周の長さを測ってみても,円周率そのものの値は絶対に出ません。円周率に収束する数列はいろいろ知られており,計算のリソースさえあれば原理的に小数点以下何桁まででも計算はできます(世界記録は22兆4591億5771万8361桁)が,当然,無限に続く円周率そのものの値を見た人はいません。円周率というものがこの世界に実在すると言えるのでしょうか?

数学は「実在」の問題にどう答えるのか

プランク定数などの物理量は,現実世界に存在する数ですが,それが数学で言うところの実数そのものかと聞かれれば,「うーん」となり,円周率は数学的に定義された実数ですが,それが本当に現実世界で存在するかと考えだすとまた「うーん」となってしまいます。

つまるところ,「現実世界の『数』」と「数学の『実数』」が同一なものかどうかという問題です。虚数なるものが実在するのかは多くの人が考えたことがある疑問でしょうが,実数や自然数だってよく考えてみるとその「実在」は明らかとは言えません。

少し前のはてブに,「実在」に関する記事がいくつか上がっていました。

gendai.ismedia.jp

karapaia.com

さて,数学は「実数のは実在するのか?」という問いにどう答えるのでしょうか?

結論から言ってしまえば,数学は実在に関する問いに対しては何も答えないということになります。

そもそも数学とは一体何なのでしょうか? 数学とは身も蓋もなく言ってしまえば,無条件に使っていい手持ちの記号列(公理)と,定められたルール(推論規則)を使って,記号列を変形していく一種のゲームのようなものです。

lucien0308.hateblo.jp

そして出力された記号列の意味を解釈するのは人間のワザです。 数学で何か不思議な感じがする定理が証明されたとしたら, それは単にそう解釈できる記号列が,定められたルールに従って出力されただけなのです。数学の「証明」とは,ある記号列が出力されるまでの記号列の変形の過程です。数学で定義された概念が実在するかどうかという問題は,完全にこの「記号列のゲーム」の外にあります。ですので「実数は存在するのか」という問いに数学は答えようがありません。

数理モデル

こう言ってしまうと随分と無味乾燥な数学像ですが,もちろん数学と現実は全くの無関係というわけではありません。実際に世の中の多くの問題が数学の問題に翻訳され,数学を用いて解かれています。このように,現実の問題を数学の問題に翻訳することを数理モデルと言います。数学で定義された概念が実在するかどうかという問題は,この数理モデル化をどう解釈するのかという問題です。「実数は実在する!」と考えるのは,数理モデル化は「真実の目」であるとする立場です。数理モデル化を単なる「便利な道具」と解釈する立場もあるでしょう。どちらの立場でも,数学をやる動機としては十分です。どちらの立場が正しいかを論じるのは数学の仕事ではありません(哲学や文学の仕事でしょうか?)。

数学の哲学 - Wikipedia

個人的には哲学にあまり興味はありません。

まとめ

現実と数学の区別が付かなくて何か困ることがあるかというと,実はあまりないと思います。数理モデル化をどう解釈するかという,単にそれぞれの個人の思想・信条の話だからです。現実と数学の関係性をちゃんと分かっていないと,数学の神秘にハマり過ぎてポエムみたいな記事を書いてしまいかねませんが,まあそれもいいでしょう。

何事もほどほどに。数学をやり過ぎたら数学脳になるぞ。