現実と数学の区別が付かない

数学ネタのブログです

正則列の Extended Rees Algebra

最近ネタがないのでネットで見かけた問題をひとつ.

「正則列で生成されるイデアルの extended Rees algebra の定義イデアルは自明な関係式で生成されることを簡単に示せないか」という疑問を先日 twitter で見かけました.これは一見当たり前のような気がするけれども,よく考えたら 正則列で生成されるイデアル  \mathfrak{a}\subset R に対して \mathfrak{a}^n/\mathfrak{a}^{n+1} が自由 R/\mathfrak{a}-加群になることが系として出るわけで,そんなに自明でもなさそう.そんなわけで証明を考えてみました.

定理の証明

可換環  Aイデアル  \mathfrak{a}=\langle a_1,\dots,a_n\rangle \subset A に対し,\begin{align}A[t^{-1},t\mathfrak{a}]=A[t^{-1},ta_1,\dots,ta_n] \subset A[t,t^{-1}]\end{align} を \mathfrak{a}extended Rees algebra と呼ぶ.ここで  tA 上の変数.

 \mathbf{a}=(a_1,\dots,a_n)\in A^n,  \mathbf{b}=(b_1,\dots,b_n)\in A^n に対し,\mathbf{a}\cdot\mathbf{b}内積\begin{align}\mathbf{a}\cdot\mathbf{b}=a_1b_1+\cdots +a_nb_n\end{align} とする.また,\mathbf{f}\in A^n に対し \begin{align} \mathrm{Syz}_A(\mathbf{f})=\{\mathbf{a} \in A^n \mid \mathbf{a}\cdot\mathbf{f}=0\}\subset A^n\end{align}を  \mathbf{f} syzygy加群と呼ぶ.
\mathbf{e}_i \in A^ni 番目の成分だけ 1 で,残りの成分は 0 であるベクトルとする.

可換環 R の正則列 a_1,\dots,a_n で生成されるイデアル\mathfrak{a} とする. R 上の多項式環 R[u,x]=R[u,x_1,\dots, x_n] からのR-代数の全射\begin{align} \varphi:&R[u,x]\to R[t^{-1},t\mathfrak{a}],\\& u \mapsto t^{-1}, x_i \mapsto ta_i\end{align} の核  \mathrm{Ker}\varphi a_1-ux_1,\dots, a_n-ux_n で生成される.

(証明)
自然な全射  R[u,x] \to R[u,x]/\langle u\rangle\cong R[x] により  R[x] R[u,x]-代数とみなす.この全射による  f\in R[u,x] の像を \overline{f} で表し, \mathbf{f}=(f_1,\dots,f_n) \in R[u,x] に対し, \overline{\mathbf{f}}=(\overline{f}_1,\dots,\overline{f}_n) とする.

 \mathbf{a}=(a_1,\dots,a_n),   \xi =(a_1-ux_1,\dots, a_n-ux_n) とおく. \mathbf{a}=\overline{ \xi } なので,自然な  R[u,x]-加群の準同型 \begin{align}\Psi: \mathrm{Syz}_{R[u,x]}( \xi ) &\to \mathrm{Syz}_{R[x]}(\mathbf{a}) \\ \mathbf{f} &\mapsto \overline{\mathbf{f}} \end{align}が得られる. a_1,\dots,a_n R[x]-正則列でもあるので,\mathrm{Syz}_{R[x]}(\mathbf{a}) は自明な関係式  a_i \mathbf{e}_j -a_j \mathbf{e}_i,~1\le i < j\le n, で生成されるが,これは \begin{align} (a_i-ux_i)\mathbf{e}_j -(a_j-ux_j) \mathbf{e}_i \in \mathrm{Syz}_{R[u,x]}( \xi ) \end{align} の像になっている.よって \Psi全射である.

 I=\langle  \xi \rangle=\langle a_1-ux_1,\dots, a_n-ux_n \rangle\subset R[u,x],~K=\mathrm{Ker}\varphi\subset R[u,x] とおく.I=K が示すべきことである.

\varphi(u)=t^{-1} R[u,x]/K\cong R[t^{-1},t\mathfrak{a}] \subset R[t,t^{-1}] の正則元なので  K:u=K が成り立つ.

次に I:u=I を示す.p\in I:u を取る.pu\in I=\langle \xi\rangle より,ある  \mathbf{f}=(f_1,\dots, f_n) \in R[u,x]^n により
\begin{align} pu=\mathbf{f}\cdot \xi \end{align}と書ける.\overline{\mathbf{f}}\cdot \mathbf{a} =\overline{\mathbf{f}\cdot  \xi }= \overline{pu}=0 なので  \overline{\mathbf{f}}\in \mathrm{Syz}_{R[x]}(\mathbf{a}) である.\Psi全射だったので,ある  \mathbf{g} \in  \mathrm{Syz}_{R[u,x]}( \xi ) が存在し  \overline{\mathbf{g}}= \overline{\mathbf{f}} となる. \mathbf{g}\cdot  \xi =0 より\begin{align} pu=\mathbf{f}\cdot \xi =(\mathbf{f}-\mathbf{g})\cdot \xi \end{align} である.\overline{\mathbf{f}-\mathbf{g}}=\overline{\mathbf{f}}-\overline{\mathbf{g}}=\overline{\mathbf{f}}-\overline{\mathbf{f}}=0 なので,ある  \mathbf{h}\in R[u,x]^n が存在して \mathbf{f}-\mathbf{g}=u\mathbf{h} となる.よって  pu=u\mathbf{h}\cdot  \xi だが,u R[u,x]の正則元なので,両辺 u で割って p=\mathbf{h}\cdot  \xi  \in I を得る.以上より I:u=I である.

 S=R[u,x] とおく.I:u=I,~ K:u=K なので,\begin{align} I=IS[u^{-1}] \cap S, ~K=KS[u^{-1}] \cap S\end{align} が成り立つ.一方で \begin{align} S[u^{-1}]/KS[u^{-1}]\cong (S/K)[u^{-1}]\cong R[t^{-1},t\mathfrak{a}][t]=R[t,t^{-1}] \end{align} より, KS[u^{-1}]=KR[u^{-1},u,x]R-代数の全射\begin{align} &R[u,u^{-1}][x_1,\dots,x_n]\to R[t,t^{-1}],\\& u \mapsto t^{-1},~~ u^{-1} \mapsto t,~~ x_i \mapsto ta_i\end{align}の核である.よって KS[u^{-1}]x_1-u^{-1}a_1,\dots, x_n- u^{-1}a_n で生成される.また, I の定義より  IS[u^{-1}]x_1-u^{-1}a_1,\dots, x_n- u^{-1}a_nで生成されることが分かる.よって  KS[u^{-1}]=I S[u^{-1}] が成り立つ.

以上より\begin{align} I=IS[u^{-1}] \cap S=KS[u^{-1}] \cap S=K \end{align} である.
(証明終)

この定理の系として,次の定理を示すことができる.

可換環 R の正則列 a_1,\dots,a_n で生成されるイデアル \mathfrak{a} の associated graded ring G:=\bigoplus_{n=0}^\infty \mathfrak{a}^n/\mathfrak{a}^{n+1} は,R/\mathfrak{a} 上の n 変数多項式環と同型となる.
特に,任意の  n に対して  \mathfrak{a}^n/\mathfrak{a}^{n+1} は自由 R/\mathfrak{a}-加群となる.

(証明)\begin{align}G&\cong R[t^{-1},t\mathfrak{a}]/t^{-1}R[t^{-1},t\mathfrak{a}] \cong R[u,x_1,\dots, x_n]/\langle a_1-ux_1,\dots, a_n-ux_n, u\rangle\\&=R[u,x_1,\dots, x_n]/\langle a_1,\dots, a_n, u\rangle\cong (R/\mathfrak{a})[x_1,\dots, x_n]\end{align}(証明終)

隣接行列の一般化とトロピカル演算の正体

最近話題になったこの記事。
qiita.com

この記事は主に次の事実を扱ったものです。

有向グラフの辺の重みを並べた行列のトロピカルな m 乗の第 (i, j)-成分は,i 番目の頂点から j 番目の頂点への道のうち,最小の重みを持つものの重みに等しいという話です。

ここで,トロピカル演算は次のように定義されるものです。

トロピカル加法  a\oplus b := \min\{a,b\}
トロピカル乗法  a\otimes b :=a+b
トロピカル加法の単位元  \infty \oplus a =a \oplus \infty=a, \infty \otimes a =a \otimes \infty=\infty

この話を聞いて,似た話を知っていると思った人もいたのではないでしょうか。それは次の定理です。

有向グラフの隣接行列の m 乗の第 (i, j)-成分は,i 番目の頂点から j 番目の頂点への道の数に等しい。

辺の重みを並べた行列は,隣接行列に見た目がよく似ています。

この2つの似た事実は成り立つ理由もよく似ていますが,隣接行列をうまく一般化するとこの2つの事実を同時に示すことができるというのが今日のお話です。この話を通して,トロピカル演算の正体が見えてきます。

2つの類似した現象

以降では自己ループや多重辺も許容する有向グラフ G=(V,E) を考えます。ただし, V=\{1,\dots,n\} を頂点集合,E を辺集合とします。また,辺 e\in E に対し, e の始点を s(e),終点を  t(e) で表すことにします*1

有向グラフの隣接行列

さて,有向グラフ G=(V,E) に対して
\begin{align}
a_{ij}&=\#\{e\in E \mid s(e)=i, t(e)=j\}\\
&=\mbox{頂点$i$ から 頂点$j$ への辺の本数}
\end{align}で定まる n\times n 行列  A=(a_{ij})_{i,j\in V}G隣接行列と呼びます。

隣接行列 AmA^m の第 (i, j)-成分は

\displaystyle
\sum_{k_1,k_2,\dots,k_{m-1} \in V} a_{i k_1} a_{k_1k_2} a_{k_2k_3} \dots a_{k_{m-1} j}

です。a_{k\ell} は頂点 k から頂点 \ell への辺の本数なので,\sum の中身は

\displaystyle
i\rightarrow k_1 \rightarrow k_2 \rightarrow \dots \rightarrow k_{m-1} \rightarrow j

というルートを通る道の本数を表しています。よって,その合計は i から j への長さ m の道の数に等しいことが分かります。

有向グラフの重み行列

さらに,辺の重みを与える関数 w:E\to \mathbb{Z}_{\ge 0} が定まっている場合を考えましょう。つまり,各辺 e\in E に重み w(e)\in \mathbb{Z}_{\ge 0} が定まっています。

応用上では重みは,辺の長さや,通過にかかる時間・コスト,容量などを表すものとして定められることが多いです。

辺に重みがつけられた有向グラフ G=(V,E) に対して,
\begin{align}
w_{ij}&=\min\{w(e)\mid e\in E,s(e)=i, t(e)=j \}\\
&=\mbox{頂点$i$ から 頂点$j$ への辺の重みの最小値}
\end{align}で定まる n\times n 行列  W=(w_{ij})_{i,j\in V}G重み行列と呼びます。ただし,i から j への辺がないときは  w_{ij}=\infty と定めます。これは重みが辺の通過にかかる時間を表しているとき,「辺がない」ことを「時間が無限にかかる」と表現していると解釈すれば,この定義に納得できると思います。

重み行列 W のトロピカルな mW^{\otimes m} の第 (i, j)-成分は

\displaystyle
\bigoplus_{k_1,k_2,\dots,k_{m-1} \in V} a_{ik_1}\otimes w_{k_1k_2}\otimes w_{k_2k_3}\otimes \dots \otimes w_{k_{m-1}k_m} \otimes w_{k_m j}\hspace{20mm}
\displaystyle= \min\{ w_{ik_1}+ w_{k_1k_2}+ w_{k_2k_3}+\dots+ w_{k_{m-1}j} \mid k_1,k_2,\dots,k_{m-1} \in V \}

です。w_{k\ell} は頂点 k から頂点 \ell への辺の重みの最小値なので,\min の中身は

\displaystyle
i\rightarrow k_1 \rightarrow k_2 \rightarrow \dots \rightarrow k_{m-1} \rightarrow j

というルートを通る道の重みの最小値を表しています。よってその最小値は i から j への長さ m の道の重みの最小値に等しいことが分かります。

具体例

具体例で見てみましょう。


f:id:egory_cat:20190713093829p:plain:w300

この有向グラフの隣接行列A と重み行列 W
\begin{align}
A=\left(
\begin{array}{ccccc}
0 & 1 & 0 & 0 & 0\\
0 & 0 & 1 & 0 & 1\\
1 & 0 & 0 & 0 & 0\\
0 & 1 & 0 & 0 & 0\\
0 & 0 & 1 & 1 & 0
\end{array}
\right),~~~
W=\left(
\begin{array}{ccccc}
\infty & 3 & \infty & \infty & \infty\\
\infty & \infty & 2& \infty & 7\\
6 & \infty & \infty & \infty & \infty \\
\infty &10 & \infty & \infty & \infty \\
\infty & \infty & 5 & 1 & \infty
\end{array}
\right)
\end{align}となります。この 6 乗をそれぞれ計算してみましょう。ただし W の方はトロピカルな 6 乗です。

\begin{align}
A^6=\left(
\begin{array}{ccccc}
2 & 0 & 3 & 2 & 1\\
3 & 4 & 1 & 1 & 0\\
0 & 1 & 2 & 0 & 2\\
2 & 0 & 3 & 2 & 1\\
1 & 3 & 2 & 0 & 2
\end{array}
\right),~~~
W^{\otimes 6}=\left(
\begin{array}{ccccc}
{22} & \infty & {26} & {22} & {31}\\
{29} & {22} & {33} & {29} & \infty\\
\infty & {30} & {22} & \infty & {27}\\
{29} & \infty & {33} & {29} & {38}\\
{32} & {25} & {24} & \infty & {29}
\end{array}
\right)
\end{align}
 A^6 の第 (1, 4)-成分は 2 なので,頂点 1 から頂点 4 への長さ 6 の道はちょうど 2本あることが分かります。

また, W^{\otimes 6} の第 (1, 4)-成分は 22 なので,頂点 1 から頂点 4 への長さ 6 の道の最小の重みは 22 であることが分かります。

実際,頂点 1 から頂点 4 への長さ 6 の道は\begin{align}
&1\rightarrow2\rightarrow3\rightarrow1\rightarrow2\rightarrow5\rightarrow4\\
&1\rightarrow2\rightarrow5\rightarrow4\rightarrow2\rightarrow5\rightarrow4
\end{align}の2本だけで,重みはそれぞれ \begin{align} 3+2+6+3+7+1&=22\\3+7+1+10+7+1&=29\end{align} になっており,最小値は確かに 22 です。

隣接行列の一般化

さて,AW 両方の情報を含むような新たな行列を定義しましょう。

G=(V,E)V=\{1,\dots,n\} を頂点集合,E を辺集合とする自己ループや多重辺も許容する有向グラフで,重み関数 w:E\to \mathbb{Z}_{\ge 0} が定まっていたことを思い出しましょう。また,e\in Es(e) から  t(e) への辺です 。

x を変数とし,\begin{align}
a_{ij}(x)=\sum_{e\in E, s(e)=i,t(e)=j} x^{w(e)}
\end{align}で定まる n\times n 行列  A(x)=(a_{ij}(x))_{i,j\in V}G多項式隣接行列と呼ぶことにします。

多項式隣接行列 A(x)mA(x)^m の第 (i, j)-成分は

\displaystyle
\sum_{k_1,k_2,\dots,k_{m-1} \in V} a_{i k_1}(x) a_{k_1k_2}(x) a_{k_2k_3}(x) \dots a_{k_{m-1} j}(x)

です。この展開を考えると,A(x)^m の第 (i, j)-成分の x^d の係数は, i から j への長さ m の道で,重みが d であるものの本数であることが分かります。

具体例

先ほどの例で見てみましょう。


f:id:egory_cat:20190713093829p:plain:w300

この有向グラフの多項式隣接行列は

A(x)=\left(
\begin{array}{ccccc}
0 & x^3 & 0 & 0 & 0\\
0 & 0 & x^2 & 0 & x^7\\ 
x^6 & 0 & 0 & 0 & 0\\ 
0 & x^{10} & 0 & 0 & 0\\ 
0 & 0 & x^5 & x & 0
\end{array}
\right)

となります。この 6乗を計算してみましょう。

A(x)^6=\left(
\begin{array}{ccccc}
x^{29}+x^{22} & 0 & x^{33}+2x^{26} & x^{29}+x^{22} & x^{31}\\
x^{36}+2x^{29} & x^{36}+2x^{29}+x^{22} & x^{33} & x^{29} & 0\\
0 & x^{30} & x^{29}+x^{22} & 0 & x^{34}+x^{27}\\
x^{36}+x^{29} & 0 & x^{40}+2x^{33} & x^{36}+x^{29} & x^{38}\\
x^{32} & 2x^{32}+x^{25} & x^{31}+x^{24} & 0 & x^{36}+x^{29}
\end{array}
\right)

 A(x)^6 の第 (1, 4)-成分は x^{29}+x^{22} なので,頂点 1 から頂点 4 への長さ 6 の道は,重みが 29 のものと  22 のものが 1本ずつあることが分かります。

また,第 (2, 2)-成分は  x^{36}+2x^{29}+x^{22} なので,頂点 2 から頂点 2 への長さ 6 の道は,重みが 36 のものと  22 のものが1本ずつ,重みが 29 のものが2本あることが分かります。

実際,\begin{align}
&2\rightarrow5\rightarrow4\rightarrow2\rightarrow5\rightarrow4\rightarrow2\\
&2\rightarrow3\rightarrow1\rightarrow2\rightarrow3\rightarrow1\rightarrow2\\
&2\rightarrow5\rightarrow4\rightarrow2\rightarrow3\rightarrow1\rightarrow2\\
&2\rightarrow3\rightarrow1\rightarrow2\rightarrow5\rightarrow4\rightarrow2
\end{align}の4本で,重みがそれぞれ 36,22,29,29 となっています。

隣接行列・重み行列との関係

定義より, A(x)x=1 を代入したものは隣接行列 A に一致しています。よって,A^m A(x)^mx=1 を代入することで得られます。

また,W^{\otimes m} の第 (i, j)-成分は i から j への長さ m の道の重みの最小値でしたが,これは  A(x)^m の第 (i, j)-成分の最低次数に一致します (ただし,0 の最低次数は \infty と約束します)。

こうしてみると,トロピカル演算の正体が見えてきます。つまりトロピカル演算とは,多項式の最低次数だけを抜き出して計算しているものなのです。

トロピカル演算の正体

多項式 \displaystyle f(x) = \sum_n c_nx^n に対し,\begin{align}\mathrm{ord}(f)&:=\min \{n \mid c_n\neq 0\}\\ \mathrm{ord}(0)&:=\infty \end{align} と定義し,f(x)オーダーと呼びます。

\mathrm{ord}(0)=\infty とする理由を説明します。いま,次数の小さい部分に注目していますが,これは  |x| が十分に小さい範囲を考えていることに対応しています。物理学で,  |x| が十分に小さいときに  \sin x=x-\frac{x^3}{3!}+\frac{x^5}{5!}-\cdotsx で近似したりしますよね。 |x| が十分に小さいときは \displaystyle \lim_{n\to \infty} x^n=0 なので,\mathrm{ord}(0)=\infty と約束するのが都合がよいのです。

2つの多項式 \displaystyle f(x), g(x) に対し, \begin{align}
\mathrm{ord}(fg)&=\mathrm{ord}(f)+\mathrm{ord}(g)\\
\mathrm{ord}(f+g)&\ge \min\{\mathrm{ord}(f),~\mathrm{ord}(g)\}\\
\end{align}が成り立ちます。2番目の不等式で等号が成り立たないのは,最低次数の部分がちょうどキャンセルして0になる場合です。

よってそれ以外の場合,例えば fg の係数が全て非負の場合は \begin{align}
\mathrm{ord}(fg)&=\mathrm{ord}(f)+\mathrm{ord}(g)\\
\mathrm{ord}(f+g)&= \min\{\mathrm{ord}(f),~\mathrm{ord}(g)\}\\
\end{align}となります。オーダー関数 \mathrm{ord} によって,加法が \min に,乗法が + に変換されていることが見て取れます。さらに加法単位元 0 については \mathrm{ord}(0)=\infty で,\mathrm{ord}(f\times 0)=\infty です。これはまさにトロピカル演算

トロピカル加法  a\oplus b := \min\{a,b\}
トロピカル乗法  a\otimes b :=a+b
トロピカル加法の単位元  \infty \oplus a =a \oplus \infty=a, \infty \otimes a =a \otimes \infty=\infty

を表しています。

より詳しくトロピカル代数・トロピカル幾何を知りたい方は次のサイトからいろいろたどってみてください。
http://pantodon.shinshu-u.ac.jp/topology/literature/tropical_mathematics.html

*1:つまり E は単なる有限集合で,2つの関数 s:E\to V,~t:E\to V が定まっているということです。E の要素 e\in E のことを s(e) から t(e) への辺と呼ぶことにします。自己ループや多重辺も許容するというのは,s(e)=t(e) となる辺 e があってもいいし,異なる辺  e_1\neq e_2s(e_1)=s(e_2), t(e_1)=t(e_2) となるものがあってもいいといことです

光速の追い風参考記録

陸上のサニブラウン選手が全米大学陸上選手権男子100メートル決勝で9秒97の日本記録を出しました。準決勝ではより速い9秒96でしたが,こちらは追い風2.4メートルの参考記録でした。
www.nikkansports.com
短距離走では追い風が記録に有利に働くため,追い風の平均風速が秒速2.0メートルを超えると記録が公認のものにならずに「参考記録」となります。

短距離走は人類最速を競う競技ですが,物理最速のものといえば「光」です。

その光ですら追い風で速くなるというお話を今日はしたいと思います。

空気中の光速

あらゆる物質の運動の速さは真空中の光速 c=299792458~ \mathrm{m}/\mathrm{s}を超えることができません。じゃあ追い風で速くなることはないんじゃないかと思うかもしれませんが,追い風が吹いているということは周りに空気があるということです。空気中の光速は真空中の光速よりも遅くなっています。その速さの差の分だけ,まだ速くなれる余地が残されているのです。伸びしろですね。

光速は物質中では真空中よりも遅くなります。その速度の比 \begin{align}n={(\mbox{真空中の光速})}/{(\mbox{物質中の光速})}> 1\end{align}をその物質の絶対屈折率といいます。

空気の絶対屈折率は1.000292で,水の絶対屈折率は1.3334です(正確には絶対屈折率は波長によって異なります。この絶対屈折率は波長 589.3~\mathrm{nm} の光に対してのものです)。物質中の光速は絶対屈折率を用いて  \cfrac{c}{n} と表されます。

では,追い風が吹いている空気中を進んでいる光速の速さはどうなるでしょうか?それを計算するために必要なのがローレンツ変換です。

ローレンツ変換

慣性系Sに対してx軸方向に速度 v~\mathrm{m}/\mathrm{s} で等速直線運動をする別の慣性系S'を考えましょう。
S系の時空座標を t,x,y とし,S'系 の時空座標を t',x',y' とします。
f:id:egory_cat:20190608104114g:plain
このとき,次の変換法則が成り立ちます。これがローレンツ変換と呼ばれているものです。
\begin{align*}
t'&=\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}} \left(t-{\frac{vx}{c^{2}}}\right)\\
x'&=\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}} (x-vt)\\
y'&=y
\end{align*}
ローレンツ変換 - Wikipedia
この逆変換を求めると
\begin{align}
t&=\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}} \left(t'+{\frac{vx'}{c^2}}\right)\\
x&=\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}} (x'+vt')\\
y&=y'
\end{align}
となります。

以下ではx軸上の運動のみを考えます。

S' 系から見て速度  \cfrac{dx'}{dt'} で運動している物体があったとします。この物体の運動をS系から観測したときの速度 \cfrac{dx}{dt}ローレンツ変換を用いて計算してみましょう。ローレンツ変換の逆変換の式を微分すると
\begin{align*}
dt &=\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}} \left(d t'+{\frac{vd x'}{c^2}}\right)\\\
dx &=\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}} (d x'+vd t')
\end{align*}
なので,
\begin{align*}
\cfrac{dx}{dt} =\cfrac{d x'+vd t'}{d t'+\frac{vd x'}{c^2} }=\cfrac{\frac{d x'}{d t'}+v}{1+\frac{v}{c^2}\frac{d x'}{d t'}}
\end{align*}
となります。

追い風の中の光速

さて,一定の風速  v~\mathrm{m}/\mathrm{s} の追い風が吹いている中で光を観測すると,その速さはどうなるでしょうか?

風が一切吹いていない v=0 のとき,光速は  \cfrac{c}{n} となります。ただし n は空気の絶対屈折率です。

風速が  v>0 の場合を考えます。静止系Sから見て,風速と同じ速度で移動する慣性系S'を考えましょう。風と同じ速度で動いているので,S'系 では風を感じません。よってS'系で光速を観測すると,それは無風状態で観測した光速  \cfrac{c}{n} になります。

S'系に対して速度 \cfrac{d x'}{d t'} = \cfrac{c}{n} で運動するものをS系から観測すると,その速度は先ほどの計算により
\begin{align*}
\cfrac{dx}{dt} &=\cfrac{\frac{c}{n}+v}{1+\frac{v}{c^2}\frac{c}{n}}=\cfrac{c+nv}{v+nc}\cdot c \\
&=\left(1+\cfrac{(n^2-1)v}{v+nc}\right)\cdot \cfrac{c}{n}\\
&=\left(1-\cfrac{(n-1)(c-v)}{v+nc}\right)\cdot c
\end{align*}となります*1

0 < v \leq c1 < n であることから, \cfrac{c}{n}<\cfrac{dx}{dt} \leq c が成り立ちます。この\cfrac{dx}{dt} が,風速  v~\mathrm{m}/\mathrm{s} の追い風が吹いているときに観測される光速です。

追い風が吹いている場合の光速は,無風の場合の光速  \cfrac{c}{n} よりは速いが,真空中の光速  c を超えることが無いことが分かりました。

光速の追い風参考記録

 n=1.000292 としましょう。

分母の  v+nc nc が大きいので, v nc に比べて十分小さいとき,追い風の影響で速くなる分  \cfrac{(n^2-1)v}{v+nc}\cdot \cfrac{c}{n} は \begin{align}\cfrac{(n^2-1)v}{nc}\cdot \cfrac{c}{n} =\cfrac{n^2-1}{n^2}\cdot v=5.83744\times 10^{-4} \times v\end{align}という v の定数倍の式で近似できます。

 ac\approx 3.0\times 10^8 なので,0\le v\le 10^6 程度のときはほぼ 5.8\times 10^{-4} \times v です。

短距離走参考記録となる風速  2.0~\mathrm{m}/\mathrm{s}の追い風が吹いている場合は,光は 1.2\times 10^{-3} [\mathrm{m}/\mathrm{s}] ほど,つまり秒速1.2ミリメートルほど追い風の影響で速くなる計算になります。

*1:結果は同じですが波の位相速度としても計算しておきましょう。\gamma=1/\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}} とおきます。S'系から見て位相速度 \cfrac{c}{n} で進む波 \sin(nkx'-ckt')S系から観測すると,\sin\left(nk\gamma (x-vt)-ck\gamma \left(t-{\frac{vx}{c^{2}}}\right) \right)
=\sin\left(k\gamma \left(n+\frac{v}{c}\right)x-k\gamma\left(nv+c\right)t \right)となり,その位相速度は  \cfrac{nv+c}{n+\frac{v}{c}}=\cfrac{c+nv}{v+nc}\cdot c になります。